コシヒカリを含む全品種を対象に
全国が認めた金賞の味
受賞時の記念撮影。右から阿部義一さん、頼義さん、安東郁夫さん。
H15年、北農研の安東稲育種研究室長から依頼を受けおぼろづきの試験栽培をスタートした。
【美唄の思い出アルバム】
1968(昭和43)年、美唄市の農家戸数1792戸に対しトラクターと耕耘機の台数は3190台と急増、一戸約1・8台を保有する農業機械化時代に突入した。写真は1966(昭和41)年の北海タイムス。阿部さんが紹介された記事の切り抜きより。
平成のいま、北海道米が元気だ。戦後の1956(昭和31)年、福井県でコシヒカリが誕生した。以来、コシヒカリを頂点とする本州米に遅れをとっていた感のある北海道米だったが、1988年(昭和63)年、北海道立農業試験場優良米早期開発チームによる「ゆきひかり」が北海道新聞文化賞を受賞、同年の優良品種に認定された「上育397号」は一般公募でつけられた「きらら397」の愛称で全道に広まり、不動のロングセラーの地位を築いた。その後も「ほしのゆめ」「ななつぼし」といった銘柄米が次々と登場し、いまや“おいしい道産米”は全国に普及しつつある。
こうした勢いにのる北海道米の評価をさらに高める画期的な出来事が2006(平成18)年に起こった。全国の米農家1782戸が出品した「第8回全国食味分析鑑定コンクール」総合部門で美唄市茶志内の阿部義一さん(71歳)・頼義さん(45歳)親子の「おぼろづき」が金賞を受賞。コシヒカリなど全国で作付けされているお米(うるち米)の全品種が対象となる総合部門での評価は、米どころ美唄の名とともに全国に轟いた。実はこの阿部義一さん、市内米農家のなかでも一目置かれる“気骨の人”。交通事故で亡くなった父の跡を継いだのは28歳のとき。「日本の食文化であるおいしい米を作り続ける」阿部農場代々のバトンを受け継ぎ、外国製トラクターや高性能乾燥施設の先駆けた導入など時代を見越した営農感覚で美唄の農を盛りたてる話題の人だった。
誇りを懸けた試行錯誤の末に
出会った理想の北海道米
米のおいしさを左右するアミロースは低いほど良いとされ、「おぼろづき」は低アミロース米で知られる。ほどよい粘りと食味の良さで従来の北海道米のイメージを覆した。
33歳のときにはアメリカ農業の団体視察に参加。視察先のカリフォルニアやサンフランシスコでは独自に品種開発・登録した権利を有する現地農家の経営センスに膝を打つ思いだったという。知恵と経験を働かせた米づくりが生産者の誇りを生む。阿部農場では「きらら397」「ほしのゆめ」以前にも「空育99」「ユーカラ」などその時々に関心を持った品種を栽培。冷害や病気に強く、収量・食味も申し分なしという理想の北海道米を求めて月日を重ねていった。
そして2003(平成15)年、北海道農業研究センターから依頼を受け、「きらら397」の突然変異である「北海287」をさらに改良し耐冷性を高めた新品種の試験栽培をスタート。38aの作付け面積から10aあたり540kgという冷夏の影響をみじんも感じさせない収量に驚き、なにより適度な粘りがあって冷めてもおいしい味に感動した。「これこそまさに理想の北海道米」と阿部さんが確信したその新品種は時を置かずして「おぼろづき」の名で農林省に登録された。
作付け面積を20倍近くに拡大
天の啓示か、「御雷之稲」
落雷の年に刈り取った「御雷之稲(みかづちのいね)」。阿部家の神棚にまつられている。
米の新品種が市場に出回るまでにはいくつもの公的手続きや関係団体の認証を得なければならない。むろん「おぼろづき」も例外ではなく、その道のりは決して平たんではなかった。にもかかわらず、「おぼろづき」に惚れこんだ阿部さんは試験栽培の翌年に作付け面積を20倍近くの7haへ拡大。周囲は遠巻きにして見守るなか、強風吹き荒れる悪天候の7月26日、7haの中心部に半径10mに及ぶ特大の雷が落ちた。古来、雷や龍神は農業の守り神として知られている。「このおぼろづきは雷鳴のごとく日本中に響き渡るものになる」。人知を超えた力に背中を押された阿部さんは落雷のあった場所を塩と酒で清め、刈り取った稲を「御雷之稲」として今も大切に保存している。
やがて「おぼろづき」の評判を聞きつけた新聞・テレビの報道を通じ、人気は徐々に右肩上がり。札幌や岩見沢で開かれた試食会でも魚沼産のコシヒカリを上回る好評を博した。「うわさの米をぜひ一口」そんな消費者の声に応えるように2005(平成17)年、「おぼろづき」は北海道の優良品種に認定され、本格的な栽培・販売が始まった。
学生の論文テーマにも登場
美唄に見いだす時代が求める生産者像
「おぼろという漢字は月に龍と書く。おぼろづきと出会ったのも田んぼに落雷が落ちたのもすべて私の運命です」と力強く語る阿部さん。
現在、「おぼろづき」生産者の輪は美唄市内をはじめ全道各地に広がっている。冒頭に記したコンクール金賞受賞の功績を含めマスコミから取材を受けることも多い阿部さんだが、「お客様がおいしいと言ってくださることがなによりの励ましになり薬になる」と初心を忘れない。「全国に誇れる道産米ができたことは北海道の米農家あるいは道民にとって大きな一歩です。生産者が意識を高く持ち、行政や農業団体と一体となって米づくりに取り組むきっかけをおぼろづきが作ってくれました」。
2007(平成19年)、通信制大学の星槎大学共生科学部に籍を置く杉田豊さんが阿部さん宅に現れた。課題研究のテーマに“おぼろづきの育ての親”阿部さんを選び、論文完成まで3度の取材に訪れた。「阿部さんの頭の中は“消費者においしい米を届ける”ことでいっぱい。それを愚直なまでに貫く阿部さんのような人が今の時代に最も必要とされる生産者ではないでしょうか」。いま杉田家の食卓にあがる米はもちろん阿部さんの「おぼろづき」。まだ食べたことがないというあなたにもぜひ、北海道米新時代の息吹を味わってもらいたい。


