白みかけた空に飛び立つ数万羽のマガン
春は4月下旬から5月上旬にかけてマガンが飛来する。その姿を見ようとたくさんの愛鳥家や観光客が宮島沼を訪れる
夜明け前、凛とした空気がざわざわと揺れ始める。東の空が白みかけると、一斉に数万羽のマガンが飛び立ち、空に無数の点となって現れる様はまるで影絵を見ているかのようだ。この瞬間、水辺で見つめる人々は息を飲む。渡りの途中で寄留するマガンが目を覚まし、食糧を求めて周辺の田んぼに出かける時間だ。マガンたちは落ちもみで空腹を満たすと、夕刻にはまた一斉に、ねぐらとする沼へ戻って羽根を休める。
こうしたダイナミックな自然の風景が多くの人を魅了する舞台となっているのは、美唄市の西端に位置する面積約41haの宮島沼だ。マガンは春と秋の年2回、ロシア極東から日本の宮城県を旅する渡り鳥。夏は天敵が少なく食糧の豊富なロシアの湿原で繁殖し、子育てをする。ヒナが体力をつける秋になると南下を始め、宮城県で冬を越す。ロシア極東から宮城県までの4000kmにも及ぶ長い旅の途中、繁殖期や厳しい冬に備え、つかの間の休息を取る大切な場所が、宮島沼なのだ。
日本最北・最大のマガン寄留地で人と自然の共存を模索
「マガンが必要とする湿地と田んぼ、両方が揃う場所は世界でも少ない」と話す「宮島沼水鳥・湿地センター」の牛山克巳さん(33歳)
春には6万羽、秋には4万羽ほどのマガンが飛来する宮島沼は日本最北・最大の寄留地。「これほど多くのマガンをこんなに間近で見られる場所は世界でもここだけです」。そう話す牛山さんは、北海道大学農学部を卒業後、東京大学大学院農学生命科学科博士課程を修了。2003(平成15)年から美唄市に移り住み、宮島沼やマガンの調査・研究を行っている。
牛山さんの勤め先は「宮島沼水鳥・湿地センター」。沼とマガンに関する啓蒙活動や情報発信、子どもたちを対象としたイベントを通じて宮島沼の魅力を外に向かって発信する。「多くの方々に宮島沼とマガンを正しく理解してもらい、人と自然が共存を目指すことが僕の願いです」。学術的な追求から環境へと目を向ける牛山さんの言葉が印象的だった。
マガンはなぜ宮島沼を選んだのか?
4000kmを旅するマガンは群れで行動する。時速100kmスピードで、春は宮島沼からロシア極東まで休むことなく飛び続ける
「宮島沼は“マガンに選ばれた場所”だと言われています。それだけマガンが集まる条件が備わっている場所なのです」と牛山さん。1970年代後半に増え始めたマガンの国内における飛来数は、今も増加傾向にあるという。マガンが集まる条件とは、外敵から群れを守るために見晴らしが良いこと、水深が浅いこと、そして最も重要なのは食料が身近にあるということだ。繁殖期や越冬を前にシベリアから宮城県へと海を越えるマガンにとって、宮島沼周辺の田んぼにある豊富な落ちもみはまさに生命の糧。その落ちもみは人間の生命を支える農業からの産物だ。
かつて地域に広がっていた国内最大の「石狩湿原」は、戦後の農地開拓によりほとんど消滅し、宮島沼はその貴重な生き残りだ。そして、沼周辺に水田が広がったことがマガンの生息条件を満たし、世界的な自然を生み出したと言える。美唄の農業が沼にマガンを呼び寄せたのだ。「農業という人間の営みが育む自然があることに、この土地に来てから気がつきました」と牛山さんは語る。
その一方で、マガンに選ばれた土地ゆえの苦労や課題もある。牛山さんが研究テーマともしているマガンの農業被害だ。田んぼの落ちもみが不足してくるとマガンは小麦の芽を食べてしまう。空知管内トップの小麦生産量を誇る美唄市にとって地元農家の被害は深刻だ。人とマガンの共存をめぐり、牛山さんは生産農家とともに解決策を模索する。
注目の農法“ふゆみずたんぼ”で宮島沼とマガンを守る
春とマガンの飛来を待つ宮島沼の風景。雪の下ではさまざまな生き物の生命活動が続いている
宮島沼の面積がどんどん小さくなっている――。近代的な農地整備による田んぼの乾田化などにより湿地帯が急速に乾燥し、沼に流れ込む化学肥料や農薬の成分で水質悪化を招く富栄養(ふえいよう)化も進行している。このままではマガンや他の水鳥たちにも悪い影響を与えてしまう。そこで牛山さんが周辺農家に協力を仰いで取り組み始めたのが「ふゆみずたんぼ」という農法だ。
通常は秋から冬にかけて乾かす田んぼを「ふゆみずたんぼ」では水を張り、時間をかけた土作りをする。「雪がブランケットのような役割を果たし、その下にたくさんの生き物が住める環境を作る。そうした生きものの力を借りて土づくりを行い、化学肥料や農薬に頼らずおいしいお米を作ることができ、沼の水面乾燥化や富栄養化への対策にもなる。“ふゆみずたんぼ”は人と環境にやさしい農法と言えます」。さらに注目すべきは、この農法を一般の人にも体験してもらおうという取り組みがスタートしたことだ。湿地に隣接する農地1アール(10m四方)を1区画として一般からオーナーを募り、月に1回の農作業とイベントを組み合わせて田植えから収穫まで、農業体験の場として提供する。2008(平成20)年からの取り組みだが、すでに美唄市内外から申し込みがあるという。生産者にとどまらず、一般の人々が農作業体験を通して環境を考える。農業都市・美唄ならではの環境保全に期待が寄せられる。


