2008.04.30

カテゴリー【特集】File.05

美唄の田んぼを吹き抜ける、ふんわり爽やかな香りの訳は?「香りの畦みち」で人を良くする米づくり

人を良くする食を担いたい――。まっすぐな想いを胸に、無農薬・減農薬の米作りに取り組む農家のグループがある。美唄市の西側、峰延地区で活動する「元氣招会」の第一歩は、畦にハーブの苗を植えることから始まった。

田んぼにミントのそよ風、香りの畦みちが広がる峰延地区

ハーブの畦みち

ハーブの畦みちの白が田畑のグリーンと鮮やかなコントラストを描く峰延地区の田園風景

考案者

「香りの畦みち」考案者・今橋道夫さん(58歳)

初夏の美唄市峰延地区の田んぼに立ってみたら、誰でもすぐにわかるだろう。まだ若い緑の稲が風に揺れると、大地からふんわりと爽やかな香りが漂ってくる。香りのもとは、なんと畦みちにこんもりと茂るハーブのミント。見渡せば、そこかしこの畦みちにハーブが植えられている。これがうわさの「香りの畦みち」かと考案者の今橋道夫さん(58歳)にその理由を尋ねると、「ハーブが稲の天敵・カメムシの防除に一役買ってくれるんです」と教えてくれた。

カメムシとは、畦に生えるイネ科の雑草に生息する害虫の一種。稲穂が出る時期になると田んぼの中に入り、ストローのような口で米の栄養分を吸い取るまさに“稲の天敵”だ。カメムシの発生時期や場所を予測することは難しく、収穫して初めて被害状況が分かるという。被害に遭うと米の表面に、精米過程でも取り除くことができない黒いはん点が表れ、著しく商品価値を落としてしまう。カメムシ防除のために年に3~4回の農薬散布を続けながらも、食の担い手として本当にこれでいいのだろうかと今橋さんは頭を悩ませていた。そして試行錯誤の末にたどり着いた解決策が、この“畦にハーブを植えること”だった。取り組みを始めて20年、今ではすっかり美唄の田園風景に定着したハーブの畦は“香りの畦みち”という親しみやすい名称で、全国から注目を集めるまでに成長した。

日本人の主食を守りたい、カメムシ防除の先手必勝策

無農薬・減農薬の米作りに取り組む「元氣招会」のメンバー

収穫を終えた米は倉庫で精米を待つ

1987(昭和62)年、今橋さんは農業界で耳を疑うような話を聞いた。「“お米アレルギーの人が増えている”と聞いたときは、ショックの一言。日本人の主食であるお米を食べられない人が増えているなんて。なんとかしなくてはという思いに駆られました」。それからは農作業以外の時間をフルに活用して、札幌の専門医やアレルギーを持つ人々を直接訪ね、症状や食生活を聞いてまわる情報収集に専念した。その中で浮かび上がってきたのが、“原因ははっきりとしないがお米を食べると症状が現れる”悲しい現実。「米農家ができることは安全なものを作ること。まずは農薬を極力減らす米作りから取り組もうと考えました」。

害虫が発生しなければ農薬も必要ない。今橋さんの次の調査対象はカメムシに移っていった。調べていくうちに、稲穂が出るころまでカメムシは田んぼに入らない事実を突き止めた。入ったカメムシを駆除するのではなく、あらかじめ生息地をなくす“先手必勝”が鍵を握る。このとき、今橋さんの脳裏に自宅の庭のミントが浮かんだ。雑草に負けず根を張るミントならカメムシの好きなイネ科の雑草をも抑えることができるかもしれない??。長年に渡って思い描いていた農業の実現に向けて、ついに行動するときが来た。1988(昭和63)年、農協青年部の仲間である近隣の農家4軒と「元氣招会」を結成、ハーブの畦みち元年が幕を開けた。

植栽10年目でたどりついた2種類のミントを複合

試験的に植栽した紅花オレガノの畦みち

カメムシ駆除のために畦みちにハーブを植える。言うは簡単だが、野草であるハーブは他種多彩。今橋さんはまず自宅のミントを畦に移植して経過を見た。3年後、ミントは期待通りにイネ科雑草を完全に消滅させ、カメムシを田んぼから遠ざけた。これならいける。今橋さんの夢が形になり始めた瞬間だった。

ところが、成長盛んなミントは大人の腰よりも背丈が伸び、草刈り作業に手間がかかる。そこでオレガノやカモミール、ワイルドストロベリーなどを試験的に植栽し、背丈の低いハーブでもイネ科雑草の駆除に効果を上げることを証明した。それでも多くの場合、駆除の効き目は数年で切れてしまう。その点、スペアミントやアップルミントならメンテナンスもしやすく、植栽から10年は効果が持続する。初めてのハーブ植栽から10年目、今橋さんはこの2種類のミントがカメムシ撃退に最も適しているという結論に達した。また、化学肥料の代わりに昔ながらの有機質の肥料「ぼかし肥料」も復活させた。米ぬかや魚粕、大豆粕などを発酵させて作る「ぼかし肥料」は土壌の改善にもつながった。10年という気の遠くなるような歳月を支えたのは、農薬を使わずにカメムシを駆除したいという一途な思いだった。

こうして、年々収量を増やすことに成功したお米は「げんき米」と名づけられた。それまで無農薬・減農薬米では二の次とされがちだった食味や品質も一定以上のレベルを確保。安定的な供給が可能になった。「元氣招会」が掲げた“健康な米作り”はようやく軌道に乗ったかのように思われた。その矢先に―。

平成大凶作をくぐりぬけ、「元氣招会」結成20年

大凶作の翌年、失敗しても「1年で判断するのは早すぎる」と歯を食いしばった栗林さん

手探りだったぼかし肥料の技術を「元氣招会」で確立した大友さん

1993(平成5)年、全国的な大冷害で国産米が大量に不足した。いわゆる“平成大凶作”だ。米どころ美唄の農家も大打撃を受けたなか、元氣招会の米作りは冷害に強いという事が、この会に注目していた農家に伝わった。「そんな情況のなかでも、元氣招会の米だけは例年と変わらない収量を確保できたと聞いて驚き、その翌年から仲間に加わりました」。メンバーの一人、栗林裕さん(53歳)は入会動機をこう語る。「化学肥料や農薬を使う農業で収量は増えても、冷害になると実らない。植物に無理をさせていたのだと痛感しました。植物が本来持っている“健康に育つ力”を最大限に引き出すのが、元氣招会の農法なんです」。栗林さんは入会一年目、平年の7割程度の収量しか確保できなかったが、諦めようとは考えなかったという。将来を見据えたときに信じて続けられる農法に出逢えた喜びが、決意を揺るがすことはなかったと振り返る。

2001(平成13)年からメンバーになった大友健治さん(48歳)は、ぼかし肥料に関心を持っていた。「自分でもいろいろ試しながら作っていたのですが、なかなかうまくいかない。そんなときに今橋さんに声をかけていただきました。一人では不足していた情報も交換できるようになり、入会は正しい選択だったと確信しています」。会の結成から20年。現在のメンバーは4人。入会のきっかけは多彩ながらも、米作りに真摯に向き合う農業家たちが元氣招会の旗のもとに集まっている。

生産者のこだわりを乗せた「げんき米履歴書」も同封

「お客さんが待っていてくれることがうれしい」と笑う今西さん

厳寒の2月、早朝から精米・袋詰めの作業を行う

メンバーの米づくりに対する真摯な気持ちを伝える「げんき米履歴書」

口コミでじわじわと人気が広がっている無農薬・減農薬の「げんき米」。現在では道内全域はもとより全国から入る注文にメンバー総出で対応しているという。2カ月ごとにメンバーが集まり、出荷する分だけ玄米・胚芽米・白米に分けて精米や袋詰めも行う。袋の中にはお米と一緒に、生産者と消費者とを結ぶ「げんき米履歴書」を同封する。そこには農薬使用カルテ欄を設け、稲の生産計画に基づいて、低農薬栽培に使用した農薬名や使用量を記載。メッセージ欄には、米の出来映えや季節の事柄を綴り、生産者のこだわりを事細かに伝えている。

「2カ月に1度、お客様に直接配達するのが楽しみのひとつ。収穫したら作業が終わるのではなくその先のつながり、どんな人が食べ、どんな感想を持っているかまでを知ることは新鮮かつ貴重な経験です」と、メンバーの今西徹さん(42歳)は語る。お米が取り持つ信頼関係は生産者に新たな喜びを与えているようだ。

美唄から全国へ発信する元氣招会の米作り

現在、「げんき米」は年間契約・定期発送制で発売中

順当に顧客を増やす一方で、「課題は次から次へと生まれます」と現状に甘んじることのない今橋さん。新品種の勉強や食味のさらなる追求など、日々の農作業や配送業務の他にもやるべきことが山ほどあるという。「元氣招会」の取り組みに関心を示す国内の米産地から視察団が訪れることもあり、ノウハウの提供も惜しまない。「美唄産米を筆頭に、道産米の評価は年々高くなっています。将来はもっと本州方面への出荷が増えてくれれば」。そう語る今橋さんは、北海道が“安心・安全の食”を支える先進地になってほしいと願う。

「お客様から“今まで食べられなかったお米をおいしくいただいています”という手紙をもらうと、本当にうれしくなります」。そう言って目を細めた今橋さんの言葉に、メンバーたちも何度もうなずいた。「食という漢字には“人”と“良”という字が含まれています。食は人を良くするものでなくてはいけないのです」。“食”本来の働きを追い続けながら、「元氣招会」の奮闘は続く。

【問い合わせ】元氣招会(代表・今橋道夫) TEL0126-67-2525 美唄市豊葦町1区

【URL】http://www4.ocn.ne.jp/~faroma/genki0.htm