聖地巡礼in我路
昨日投稿の聖地巡礼シリーズは番町にて終了しましたが、本日はついに我路市街地にお邪魔します。かつては2000人が住み、パチンコ・喫茶店・旅館etcなどがあったといわれているこの地域。手元の年表を見ると…大正7年に美唄炭山市街地(我路の前身ですね)に市内(町内?)初の電話が開通したと書いています(美唄市街は9年です)。
その我路の由来ですが、一帯の土地を所有していた桜井良三氏が美唄鉄道を「我が路を行く」とした説が知られていますが、正確には沼東小学校脇のアイヌ語でカル(凹凸のある)と呼ばれていた沢がなまって我路となり、駅名として採用されたらしいです。
それは置いといて、我路橋手前の十字路に立ってみると、岡田春夫生家という看板があったので、そちらへ向かってみます。
その我路の由来ですが、一帯の土地を所有していた桜井良三氏が美唄鉄道を「我が路を行く」とした説が知られていますが、正確には沼東小学校脇のアイヌ語でカル(凹凸のある)と呼ばれていた沢がなまって我路となり、駅名として採用されたらしいです。
それは置いといて、我路橋手前の十字路に立ってみると、岡田春夫生家という看板があったので、そちらへ向かってみます。
道を下って美唄川のほとりまで行くと、対岸に滝がありました。夏だと涼しげでいいですね(今は一部凍っていたりします)。
美唄川のすぐ脇に家がありました。大きさとしては桜井邸や三井美唄所長宅に比べると全然小さいのですが、外窓も凝ったつくりになっていて、手入れも行き届いているらしくプチ豪華な感じの雰囲気を醸し出しています。
坂を登って1条通りを目指す途中に、石倉がありました。大分崩落が進んでいますが、昔は質屋さんだったようです。
1条通り。何件かの家があるだけですが、全盛期には我路の田園調布?的な感じで名士の方々が住んでいたと聞いたことがあります。
空いた扉から揺らぐカーテンが見えました。それよりも下の「番町売店」の方が気になります。今のコンビニ的な感じで多くの方が買い物に訪れたことでしょう。
メインストリートの2条通りへ。今は道路の付け替えで大分すっきりしてしまいましたが、その前までは道路の両脇に映画館や銀行などの建物がびっしりと並んでいました。
知る人ぞ知る名店「やきとりガロ」。美唄焼き鳥組合加盟店です。おいしいと評判なのですが、まだ一度も食べたことがないので、そのうちチャレンジします。
ちょっと遠くからやきとりガロの中を失礼。我路3キロ美唄10.5キロと書いてある看板がありました。距離的に常盤台駅の前辺りにあったものでしょう。あと、近くに昔の我路に地図を印刷した紙が落ちていました。恐らく同じように昔の足跡をたどっている方がおられたのでしょう。
新しく付け替えられた道路から美唄市街方面を撮影。
同じくスキー場方面を撮影。
我路3条通り。パチンコ・喫茶店など一番の歓楽街だったらしいのですが、今は焼き鳥屋さんの炭焼き小屋と板金工場、市役所の出張所ぐらいしかありません。
4条通りは…ご覧のとおり除雪がされていなく、車では入れませんでした。
楓が丘に通じていたであろう道には、日本が誇る最強のオフロードランナー・スズキジムニーが!でも積雪前に置いたらしく、雪で埋もれています。
次回は我路の中枢部である東美唄出張所が置かれている3条通りを通り、高台の方まで登ってきます。中古のスポーツカー+中古スタッドレスタイヤの組み合わせで無事生還できるのか!(続く)。
投稿者:トロ(2009-12-22)















