炭鉱で栄えた日東の風景

今も残る炭鉱住宅には、まだ生活の灯りがともる。

今も残る炭鉱住宅には、まだ生活の灯りがともる。

同上

同上

12号線を背にし日東の街を望む。

12号線を背にし日東の街を望む。

日東前バス停

日東前バス停

今も残る「茶志内炭山郵便局」と書かれた建物の入り口。

今も残る「茶志内炭山郵便局」と書かれた建物の入り口。

同上

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山の上に残る炭鉱跡

山の上に残る炭鉱跡

■炭鉱で栄えた日東地区
 昭和12年に日東美唄炭鉱が開鉱。昭和14年当時には日東美唄炭鉱住宅街として栄えました。 日東地区と茶志内地区を結ぶ三菱鉱業の専用鉄道(約2㎞)も開通し、商店街や飲食店も立ちならぶ街となりました。
 昭和42年の炭鉱閉山後は人口が急激に減少し、住宅街は姿を消し、緩やかな煙をあげていたズリ山もすでにありません。
 最近までこのズリ山は小学生や中学生の格好の遊び場となっていて、冬にはソリやスキーなどをする姿が見られたものでした。

■美唄の町並みとして日東の風景を収録しました。
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名称/株式会社 美唄未来開発センター
住所/美唄市茶志内町3区 ハイテクセンタービル1F TEL0126-65-2121
メール/bmcict@bmc.net-bibai.co.jp

投稿者:美唄未来開発センター(2008-03-24)

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